
Joanna Wietrzykとは|テニスの土台と、出場を選ぶ転機
Joanna Wietrzykは、テニスを長く続けた後にHYROXへ進んだオーストラリアの選手です。短期間で上位へ進んだ背景には、競技を知る前から積んできた運動経験がありました。さらに2026年世界選手権後の本人取材では、出場できるレースを増やすことから、大事な大会へ良い状態で臨むことへ、考えを変えようとしていました。
5歳ごろから続けたテニスと、新しい競技への入口
2026年6月19日付のポーランドのランニング専門誌「Magazyn Bieganie」の本人取材によると、Wietrzykはメルボルン生まれ。5歳ごろからテニスを始め、20歳ごろまで続けました。その後は短期間ネットボールにも取り組んでいます。
HYROXを知ったのは、オーストラリアでフィットネストレーナーとして働いていたとき。顧客の多くが地元のHYROXに出場しており、楽しそうだと感じて自分も試したと話しています。取材では、レースに出るたびに記録を良くしたくなった経緯も語っています。
2024年11月のRed Bullの本人取材では、まだHYROXを始めて4か月ほどという言葉とともに、テニスやランニングの経験が土台になったと説明していました。短期間の転向と、それ以前に積んだ年月は、本人の中ではつながっています。
2026年世界選手権後、出場する大会の選び方を見直す
公式結果サイトでは、2026年の女子「HYROX ELITE 15 - Thursday」で、ワルシャワは1位・54分25秒08、ストックホルムは2位・57分14秒33と記録されています。
Rox Lyfeが2026年世界選手権後に行った本人取材では、Wietrzykはストックホルムでの結果をすぐには受け入れられなかったと紹介されています。誇りに思う気持ちがある一方で、自分に求める基準は高く、レースでは早い段階から本来の調子ではないと感じていたと話しています。
同じ取材で見直そうとしていたのが、オーストラリアと欧州・北米を行き来する競技生活です。以前は、プロスポーツで先が保証されていないからこそ、出られる機会には出たかった。それに対して取材時点では、大会をより選び、世界選手権へ最も良い状態で臨むことを目標に挙げています。
勝ち続けることだけでなく、どこへ力を注ぐかを選ぶこと。
得意なランニングだけでは完結しない
Magazyn Bieganieの取材では、自分が良いランナーであることは助けになる一方、8つのステーションもこなす必要があり、ランニングだけに集中はできないと話しています。トライアスロン、ランニング、CrossFit、筋力系など出身競技はさまざまで、一つの競技歴や体格が優位を保証するわけではないという見方です。
テニスやランニングで築いた土台を、HYROX全体へどう生かすのか。そして、すべての出場機会を追うより、大事な一戦へ向けて何を選ぶのか。Wietrzykの本人取材には、急成長の裏にある二つの判断が残されています。
ほかの選手の転機と本人取材は、HYROX選手一覧から読めます。
出典・本人取材
Magazyn Bieganie:Joanna Wietrzyk本人取材(Krzysztof Wojciechowski、2026年6月19日)
Red Bull:Joanna WietrzykのHYROX転向と競技の土台(Agnes Aneboda、2024年11月21日)
Rox Lyfe:2026年世界選手権後の本人取材を基にした人物記事(Greg Williams)
ROX NOTE編集部|2026年11月4日確認。
